吉原生まれ吉原育ち
1750年、吉原生まれの蔦屋重三郎は、幼名を「柯理」といった。読み方には、「あり」と「からまる」の二説ある。
数え7歳の時に、両親が離婚し、吉原に置き去りにされた。
その後、引手茶屋を経営していた喜多川氏の養子になった。とはいえ、跡取りである義兄がいたため、ていのいい下働きだったのだろう。
1772年、数え23歳のときに、大門近くの茶屋「蔦屋」の軒先を借りて始めたのが、書店兼貸本屋だった。
何も持たず、何者でもなかった若造が、仏教でいう忘己利他(もうこりた)(人のために尽くす)の精神で始めた出版業。
幕府も認めた遊郭でありながら廃れゆく吉原を、幼い頃に売られてきた不遇な娘たちを、なんとかしたいと願う気持ちが、彼を突き動かしたのだろう。