やれることをやっている
私は2015年11月3日以来、毎月3日、国会正門前に立ってきました。その2ヵ月前、安倍内閣のもと、集団的自衛権の行使を可能にする安全保障関連法が成立。
このままでは日本が米国の戦争に巻き込まれ、いつでも戦争に突入できる国になってしまうと危惧し、なんとか反対したいと思ったからです。もうデモもできませんし、活動がごくごく狭められた人間の、意思の表明でした。
あれから10年。政権は菅(義偉)さん、岸田(文雄)さん、石破(茂)さんへと代わりましたが、いまも防衛力は歯止めなく、強化される一方。沖縄では、中国の台湾侵攻を視野に入れた軍事化が加速していますし、ほかにも気になる点はたくさんあります。
雨の日も、お正月も、私たちは毎月3日、休まずに国会前に立ち続けてきました。4年前、「要介護4」の身となったときでさえ、転倒直後は友人に手紙を託しましたが、その翌月には車椅子で参加しました。いまも杖だけで立っています。
かつて9人の呼びかけ人で結成した「九条の会※」も、大江健三郎さんが亡くなったことで、私一人になってしまいました。でも、権力者の命令によって人が戦場に送り込まれ、自分の意思に反して死を迎える。そんなことは二度と起きてはいけないし、そのことを伝えられるのは、私の世代しかいないじゃありませんか。
毎月3日になると、100人とか150人という人たちが全国から集まり、思い思いの主張を書いたポスターを手に、静かに訴える日となっています。デモもやらず、シュプレヒコールもやりません。
私も黙って一人、自分の思いを込めたポスターを掲げるだけで、なにも叫びません。こうして体が不自由になってくると、つらいと思うことはあります。でもずっと休まずに続けてきたことですから、いつやめるか、というのは私自身の問題ですね。
こういうことを続けていると、「原動力は、怒りによるものですか」と聞かれることがよくあります。ただ自分自身に問い直しても、そうは言い切れないところがありますね。やれることをやっている、ただそれだけのように思います。
私に、世の中を大きく変えられるほどの力がないことはよくわかっているつもりですし、そもそもいつまでこの世にいられるかわからないのですから。