アリ戦をテレビで見ていた姉さん

「寛至、あなたがこんなに大きくなっていたなんて、本当に驚いたわ」

姉さんは、何度もそのことを言った。無理もない。生き別れた7歳当時の兄貴はごく普通の体格だったからである。

姉さんは前年、アメリカでも放送されていたアリ戦をテレビで見ていた。「イノキ、イノキ」とアナウンサーが叫んでいたにもかかわらず、体が大きすぎたために、まさか画面に映るアントニオ猪木が自分の弟であるとは思わなかったという。

「アナウンサーが“イノキは日本のカワサキに生まれた”と解説していたので、ああ、鶴見じゃないんだ、川崎の猪木さんだと思ったのね。あれが間違えていなければ寛至のことだと気がついたかもしれないのに……」

姉さんはそんなことも話していた。私は提案した。

「母さんはいま、サンパウロにいる。いま体調があまりよくないが、一刻も早く会いたいと思っているはずだ。行ってあげたらどうだろうか」

姉さんはその翌日、サンパウロに旅立った。27年間、姉のことを思い続けた兄貴の執念が、家族の絆を取り戻した。まるでドラマのような物語だが、これは紛れもない実話なのである。

※本稿は、『兄 私だけが知るアントニオ猪木』(講談社)の一部を再編集したものです。

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兄 私だけが知るアントニオ猪木』(著:猪木啓介/講談社)

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これまで沈黙を貫いてきた実弟・猪木啓介がいま、「人間・猪木寛至」のすべてを明かす。