27年ぶりの再会

それは人口500人ほどの小さな田舎町だった。私と兄貴が車内で待機していると、夕方になって目的の家の中に、1台の車が入っていった。

「帰ってきたみたいだ」

兄貴と私は車を出ると、ゆっくりと家に向かって歩き出した。もし私を見ても、姉さんは誰だか分からないだろう。大きな兄貴の後ろをついていくと、日本人と見られる中年の女性が玄関のところに立っていた。

「姉さん?」
「……寛至。寛至なのね」

すでに弁護士から、私たちの来訪が伝えられていた。兄貴と抱擁を交わした姉さんは、その腕の中で泣いているように見えた。

アントニオ猪木(左) 力道山(右)
力道山とともにブラジルから帰国し日本プロレスに入団した猪木寛至<1960年>(写真提供:講談社)

「さあ、入ってちょうだい」

姉さんが、兄貴と私を招き入れた。実に27年ぶりの再会だった。姉の夫、ニコルソン氏は狩猟が趣味らしく、地下室の大きな冷蔵庫には骨付きの鹿肉が保存されていた。

その晩、私たちはすべてを語り合った。ブラジルへの移住、祖父の死、プロレス入り、そしてモハメド・アリとの戦い。長すぎた空白のすべてを一晩で埋めることはできなかったが、それでも兄貴があれだけ話した姿を見たことがなかった。