「「元気ですかー!」っていっても、今回みたいに元気じゃなくなることもあるでしょう(笑)」(猪木さん)
2022年10月1日、日本プロレス界のスーパースター・プロレスラーとして、そして政治家としても活躍してきたアントニオ猪木さんが亡くなられました。追悼の意を表し、妻・田鶴子さんとの結婚秘話や自身の死生観などを語った『婦人公論』2019年11月12日号の記事を配信します。

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2019年8月に妻に先立たれたばかりのアントニオ猪木さん。あまりプライベートについては語らない猪木さんが、ジャーナリストの中村竜太郎さんに心中を明かします。後編は妻・田鶴子さんとの結婚から…(構成=中村竜太郎 撮影=本社写真部)

〈前編はこちら

自分の命を縮めて、私の時間を延ばしてくれた

中村 田鶴子さんとはなぜ結婚なさったんですか。

猪木 ご存じのように私は波瀾万丈な人生を送ってきましたから、結婚も彼女が4回目になります。交際の経緯は先ほどお話ししたとおりですが、私はもう結婚なんてしない、戸籍にこだわらなくてもいいじゃないか、そういう感じで生活していました。事実婚のままで、いまさら結婚しなくてもという気持ちもありました。

ところが事情がありまして。彼女は両親が他界して、お兄さんも亡くなって、お姉さんは嫁いでいる。本人が実家のお墓には入りません、どうしても猪木家のお墓に入りたいという。役所の手続きだとか、私にとっては面倒なことばかりでしたけど、結局2年前に婚姻届を出すことにしました。

中村 お墓に入りたいっていうのは、田鶴子さんからのプロポーズだったんじゃないですか。

猪木 要するにあの世まで一緒にいたいっていうことなのかな。(笑)

中村 結婚指輪は猪木さんがお買いになったんですか。

猪木 いやいや、彼女が自分で買っていましたよ。で、毎年私の誕生パーティをやるんですけど、ホテルオークラで行ったその年のパーティが、いきなり結婚式になったんです。まあ、うまく乗っけられたのかな。

中村 サプライズだったんですね。

猪木 そう。私なんかサプライズばかりの人生です(笑)。で、そのときも有名なカメラマンが来ていて、なんの説明もないまま白いジャケットを着せられて、とにかく写真撮るからって急き立てられ、彼女と一緒に結婚写真を撮影しました。

中村 田鶴子さんはウェディングドレスですか。

猪木 それに近い白いドレスを、ベールをつけて自分でいろいろアレンジして着ていましたね。

中村 それはお喜びになったんじゃないですか。

猪木 本人はすごく喜んでいました。その結婚パーティと最後の2ヵ月が、私ができた最大のこと。その点だけは奥さん孝行させてもらったかな。私は、あまり愛だとか語るのは苦手なのでね。しかし本当に人の想いってすごい。いままで好き放題やってきた私ですが、この年になって、彼女から人の想いの強さと純粋さを教えられました。