イラスト:川原瑞丸

 

ジェーン・スーさんが『婦人公論』に連載中のエッセイを配信。今回は「冷蔵庫の中」。既婚の女友達が「恋愛がしたい」と言ったのを聞いたスーさん。同世代の恋愛に思いをめぐらせて――

冷凍庫の中

既婚の女友達がふと、「恋愛がしたい」と言った。18歳からの付き合いなので、とんだ不届き者だと断罪するような仲ではない。

実行するか否かの話ではないのだ。恋愛特有のドキドキとか、ワクワクとか、ああいった心の不整脈を懐かしく思う気持ちを口にしているだけ。

いまのパートナーと私は復縁組なので、シーズン2を始めるにあたり、ドキドキもワクワクもそれほどなかった。感慨深さは異様にあった。それが中年というものだと納得している。

静かに再び始まった付き合いに、なんの文句もない。夫と平和に暮らす女友達だって、そうだろう。しかし、金輪際ごめんだと、ほうほうの体で降りたあのジェットコースターに、再び乗りたくなった気持ちはわからなくもない。当時はアレが「いまそこにある現実」だったが、いまの私たちにとってアレは「懐かしの非現実」だ。賢い中年女ならこんなことは絶対に思わないだろうけれど、残念ながら私たちは迂闊なのだ。

否応なしに別のジェットコースターに乗せられているのが中年の現実だ。ドキドキするのは本物の不整脈のせいだったり、尿意で目が覚めた夜中に老後資金の不安に苛まれるからだったり、あまりにもシビア。だから、当時は現実だと思っていた、しかしいまよりずっと非現実的だった「こんなに悲しいなんて、死んじゃうかもしれない」が懐かしいのだ。いまの「死んじゃうかもしれない」は、もう少しリアリティを帯びている。

未来のことは誰にもわからないから、まだ起こってもいないことにあまり心を奪われないほうがいい。と同時に、ある程度予測できる事態には、多少なりとも備えておくのが大人の嗜みだとも思う。いつ死ぬかわからないから思う存分自分らしく生きたい気持ちと、自分らしさはいったん脇に置いて、不安のない安全な日々を優先したい気持ちがせめぎ合う。