6年生のとき、疎開先から東京の大森に戻ってきて間もなく、空襲で家が焼けてしまいました。私たち家族は、焼けてしまった実家の真向かいの家を借りることに。

兄は本が大好きでたくさん所蔵していましたが、ブスブス燃えているのを1週間か10日ほど見に行っては嘆いていました。本の焼けるのを見て兄はどんなにつらかったろうと、今でも胸が締めつけられる思いがします。

その後、女の子は家から歩いていける学校に、という親の方針で、立華学園に通うように。道すがらに洞穴があるのも、その学校に決めた理由のひとつでした。

そうこうしているうちに、戦争も終わり――立華学園は部活が盛んで、友人に誘われて演劇部の活動を見に行ったら、顧問の池田義一先生から「おやりなさい」と言われて、シェイクスピア劇などをやるようになりました。

池田先生は、松竹の映画監督だった池田義信さんと、日本舞踊の家元で松竹のスター女優・栗島すみ子さんのご子息。ロシア民話を題材にした『雪娘』という脚本を書いてくださり、雪娘を演じたのですが、童話の中の娘になったような気がして楽しかったですね。