卒業間近になり、親はいろいろな女子高の願書を取り寄せていたようですが、池田先生が「俳優座を受けたらどうだろう?」と。憧れの先輩だった中村たつさんも俳優座に入っていたので、心惹かれたものの、自分から親には言えません。

すると、たまたまご自宅が近所だった池田先生が母に話してくれたみたいで、同居していた絵描きの叔母から「俳優座の芝居を観に行ったほうがいい」と言われ、新劇を初めて観ることになったのです。

そのとき上演されていたのが、日本のリアリズム演劇の代表作『火山灰地』でした。ドレスを着た童話の中の王女様やシェイクスピアの芝居などと違い、モンペを穿いたお百姓さんたちが出演しています。

「あぁ、普通の人がいろいろなことを考えて、生きていく。こういう世界が芝居になるんだ」と、私、感激しちゃって。今でも、あのときの舞台の様子がふわ~っと浮かんできます。この物忘れの激しい私が、モンペの継ぎまで覚えていますもの。

俳優座の研究生候補の試験を受けたのは15歳のとき。受験の日、母がついてきてくれましたが、母が受けると間違えられて(笑)。「子役はいらない」と言われたので、てっきり落ちたと思い、帰りに母と銀座のお汁粉屋で「落っこちたお祝いよ」なんて言いながらみつ豆を食べました。

そうしたら1週間くらいたってから、合格のはがきが来たんです。それで稽古場に行ったら、中村たつさんが掃除をしてらした。「先輩!」と思わず言ったら、「先輩でもなんでもない。ここに来たらみんな一緒よ」なんて言われて……。

翌1949年に養成所(演劇研究所付属俳優養成所)ができて、たつさんも一緒に候補生20人ほどが1期生になりました。

後編につづく