大阪・関西万博の開幕に伴い、1970年に開催された大阪万博にもたびたびスポットライトが当てられています。そんななか、人気雑誌『昭和40年男』創刊編集長の北村明広さんは、大阪万博後の昭和46年以降を「昭和後期」と定義し、この時代に育った人たちを「次々と生み出されたミラクルに歓喜しながら成長した世代」だと主張します。今回は北村さんの著書『俺たちの昭和後期』から一部を抜粋し、再編集してお届けします。
歳の差に横たわる大きな壁を楽しむべし
昭和46年、華々しく、昭和後期元年がスタートした。
この年より、社会がカラフル志向へと変化した。昭和40年生まれの筆者は6歳だ。
読者諸氏はこの瞬間を何歳で迎えただろうか。くっきりはっきりと記憶しているような先輩諸氏は、かわいい弟の戯言として、後輩たちは兄貴のわがままで偏った解釈として受け止めてくだされ。
同じ事象の解釈に、性別はもちろんのこと、年齢による差異が大きく生じることを雑誌『昭和40年男』を作っていた時に嫌というほど味わった。加えて、育った地域や兄弟の構成なども強く影響する。そこに、親たちや大人たちの戦争体験による価値観の植え付けがあると、思考は大きく左右される。