実態としっかり向き合う勇気を

マルグリット・ユルスナールという作家の短編に、どんな被写体も究極的に美しい絵画にしてしまう、稀有な才能を持った老画家の話がある。そんな彼の作品に囲まれて育ったため、大人になって現実の過酷さに絶望した皇帝から「すべてはお前の描いた絵のせいだ」と、画家が死罪を言い渡されるという内容だ。

過剰なコンプライアンスと情報統制でがんじがらめになった現代社会の行く末を示唆するような内容である。

人はどうしてこれほど世の中や人間のやることに不平不満を抱くのか。どうして倫理に背いているとされる行動や事象を徹底的に抹殺しなければ気が済まないのか。

幸せと喜びに満ちた、素晴らしい人間社会の実現を信じるのは自由だが、この先、怒りや失望に蝕(むしば)まれず生きていくためにも、人間という特異な存在の実態としっかり向き合う勇気も備えておくことを、こんなご時世にこそ、ぜひお勧めしておきたい。


歩きながら考える』(著:ヤマザキマリ/中公新書ラクレ)

パンデミック下、日本に長期滞在することになった「旅する漫画家」ヤマザキマリ。思いがけなく移動の自由を奪われた日々の中で思索を重ね、様々な気づきや発見があった。「日本らしさ」とは何か? 倫理の異なる集団同士の争いを回避するためには? そして私たちは、この先行き不透明な世界をどう生きていけば良いのか? 自分の頭で考えるための知恵とユーモアがつまった1冊。たちどまったままではいられない。新たな歩みを始めよう!