格式ばっていない面白さ
和歌と違って、狂歌は詠み方に決まりがありません。音頭みたいに「あ、よいしょ」という感じで飲み会でどんちゃん詠むときもあれば、格式ばって「詠ませていただきます」とかしこまる時もある。自由なところが面白いし、キャラクターが出しやすい。
今でいうラップバトルのように一つのテーマで即興で詠むこともあります。「テーマはうなぎに寄する恋」というシーンもありました。瞬発力と構成力、センス、知識量で選ぶワードが変わってくるので、役柄によって全く歌が違ってくる。男性陣は下ネタになることもあるので、この時代の女性が聞いたらどんな反応をするのか考えながら演じるのもすごくおもしろい。かしこまっていないからこその面白さがあるから、きっと庶民の間で親しまれたんだと思いました。
まだ1句しか詠んでいないのですが、宴会の最中に詠む歌だったので、かなりはじけて詠みました。踊りながら節をつけて詠んだので、自分が考えていた狂歌とはまったく違っていて、テストのときには失敗もありましたが、本番ではうまく落とし込めました。第一歩は確実に踏み出せたと感じています。
私が詠んだ歌は百人一首の歌のパロディーでした。小学校のころに百人一首クラブに所属していたので、「この歌、知ってる!」とうれしくなりました。知識や教養があるほど、パロディー作品をたくさん詠めるので、狂歌がものすごく楽しくなるだろうなと感じました。
楽しみながら作るという点で、狂歌と現代のポップカルチャーとの共通点を感じています。今までにないものに魅力を感じて話題になる。蔦重さんはアンテナが広くて、「これがはやる」「これがおもしろい」というものにいち早く目をつけていた。現代でも、これまでになかったものや見たことのないものに感動して、「こう来たか」と思わず手にとってしまう。お金をかけたからヒットするわけではなく、アイデア勝負なところも共通していると思っています。