70代まで飢えずに生きてこられた奇跡

私が中学生の時、駄菓子を売る店で万引きをする生徒たちがいた。生活に困窮していたわけではなく、面白半分で、学校でこっそり自慢する生徒もいた。

担任の先生は、お店から苦情があった話をしてから、「私には、その生徒を叱る資格はありません。戦後の食糧難で、私の子供たちはいつも飢えていました。井戸でお芋を洗っている人がいて、その人が急な用事でそこをどいた時、私はそのお芋をふたつ盗み、自分の子供たちに食べさせました。それを思い出すと、今も教師でいて良いのかと悩みます。私は泥棒なのです」と言った。

その後、万引きした生徒たちは、泣きながら先生に謝った。

私は、そんなことも思い出し、最近、この年齢まで飢えずに生きてこられたことが奇跡のように思えてきた。

宅配の野菜や果物の入った袋の中に、悪天候により、野菜の見栄えが良くないこと、果物に傷があることなどへのお詫びを書いた紙が入っている。そのたびに「いいんですよ。食べられれば」と、野菜と果物に話しかけて、会ったことのない生産者の方々に伝えたつもりになっている。

無駄のない食料管理と節約によりどうなったかというと、現役のときよりも体重は7㎏減ったが、体力と気の強さと根性がなくなった。これは、年齢のせいかもしれないが…。体重が減っても、あいかわらず悪玉コレステロールの数値は高く、突然、甘いものが大量に食べたくなるのは変わらず、食べないと猛烈な精神的ストレスを感じる。

そして気づいたことがある。わずかな食料の寄付が生きがいではなく、社会福祉協議会の人が喜んだり、感謝してくれるのが嬉しかったのだと。

人間に大切なのは、「衣・食・住・喜んでくれる人」だな、と思った。

【関連記事】
朽ちたタンスから母の遺した豪華なケースを発見。老後に光が見えた気がしたけど…リッチな奥様気分から現実に戻るのには、10分もかからなかった
親の地獄は現世にあり。寝たきりの父親を挟んで息子たちが相続バトル。唯一の救いだったのは…
3歳からテレビで観戦、70代の今も大相撲から人生を学ぶ。「昭和の横綱34力士」の特大ポスターから、戦中、戦後の力士を想い平和を願う

 

◆『「相撲こそわが人生」スー女の観戦記』の連載一覧