父親がクモ膜下出血で倒れて……

父親にとっては長男のDさんだけが希望の星であった。Dさんはその期待に応えて料理の腕をさらに磨いて、常連客を増やし、予約が取れないほどに繁盛させた。Dさんの妻も、母に代わって若女将としてお客の接待から従業員の管理まで休む間もなく働いていた。

問題は料理旅館の老朽化であった。老舗の雰囲気を残しつつ、地震などの災害にも強い構造にするために、Dさんはまずは床下の基礎補強をしたあと、営業を続けながら一部屋ずつを新しくする方法を採った。全部を取り壊して建て替えるよりも工費は高くついたが、伝統を守るためにそのほうがいいとDさんは考えた。

『介護と相続、これでもめる! 不公平・逃げ得を防ぐには』(著:姉小路祐/光文社)

父親は工費の借金はしたくないという方針だったので、これまでの貯えを惜しみなく改築に注ぎ込み、その結果、見事な仕上がりになった。お客は遠方からも来てくれるようになり、予約はさらに取りにくくなった。父親は新しくなった料理旅館に大いに満足していたし、自分がずっと気に掛けながらもできなかった大改築をしてくれた長男のDさんに感謝もしていた。

そこまではよかったのだが、約3年後に父が地域の商店振興会の集まりに参加中にクモ膜下出血で倒れて、すぐに病院に運ばれた。Dさん夫婦は懸命に介護したものの帰らぬ人となった。海外在住の妹とはまったく疎遠にしていて、連絡先もわからなかった。弟はすでに他界していた。葬儀はDさんが喪主となって、近くの寺院で行ない、常連客や近隣住民が多数訪れて偲んでくれた。