人生が広がる?
こうしてなんとか一人飲みデビューをほぼ合格点で飾ったところで、気づけば閉店時間も間近である。ああこの勝利の時間がいつまでも続けばいいのにィと思うが、そうもいかない。
一人去り、二人去り……静かになってきたところで、ふとご主人に「これから『一人飲み』がちゃんとできるようになりたいと思っているんですけど……」と相談を持ちかけてみた。
「一人飲み!いいですねー。ぜひやってください!」
え、随分軽くおっしゃいますけど、女が一人で酒、ですよ?
「全然、平気じゃないですか? うちも一人で飲みに来られる女の方、結構いらっしゃいますよ。いやー、女性の方が勇気があるんじゃないかなー。男の方がダメですね」
そ、そうなんですか。
「絶対いいですよ!人生が変わりますよ!」
そこまで推しますか。
「知らない人ともいろいろ会話できるしね。人生が広がるっていうのかな……」
ご主人、ちょっと遠い目になっている。あ、もしかしてご自分が一人飲みに出かけたいんですね。でも店があるからそうそう出られないですもんね。
それはさておき、人生が変わる!人生が広がる!この言葉には大いに心を動かされた。普通に考えたら、結婚するとか宝くじで大金を掴むとか、そんな大掛かりなきっかけでもなければそうそう変わりそうにないのが人生というものであろう。
それが「変わる」と。それもたかだか一人飲みで!
なるほど、やはり一人飲みとは修行なのだ。私の、あるいは現代人の多くの人生に決定的に欠けている大切な何かを見つけ、育て、磨き上げる、万人に開かれた大いなる旅なのだ。
ならば、やらないという選択肢などあるはずがあろうか。
ヨシそこまでおっしゃるのなら、勇気を出してさらに研鑽を積み、何が何でも一人飲みをスイッとナチュラルにできる女になってやろうじゃないか!と、冒険の道へのりだす決意を固めた勇者のようなハートを抱いた中年女がひとり、意気揚々と店を後にしたのであった。
『一人飲みで生きていく』(著:稲垣えみ子/幻冬舎)
一人ふらりと出かけた街でふらりと店に入り、酒と肴を味わってリラックス。そんな「一人飲み」に憧れて挑んだ修行。数々の失敗の先に待っていたのは、なんとも楽しく自由な世界。まさか一人飲みで人生が開けるとは!――アフロえみ子と一緒に冒険し、お金では買えない、生きる上で一番大事なものを手に入れるスキルまで身につく、痛快エッセイ。