私が被介護者になるのを恐れる理由
施設とマニュアルさえしっかりしていれば「生きるために必要な介護」と「最低限の環境」は提供される。だが、人の手と目は限られた資源であり、一人ひとりが快適と感じるレベルまですべてを整えるのはほぼ無理だ。
たとえば、うちの父の場合、服に食事時についたと思しきシミがそのままになっていることがよくあった。もちろん、異臭がするわけではないし、病気の原因になるほど不潔ではない。だが、見た目は汚らしい。健常者であれば着替えるだろう。けれど自分で何一つできないのであれば「汚れた服を着たまま過ごす」日常を甘受するしかない。
こうした「生命保持だけが目的なら不要だが、人としての尊厳を守るためにやったほうがいい作業」を細やかに提供できるのは家族や、家族に近い感情を持っている人間だけである。
こう考えると、私が被介護者になるのを恐れる理由もわかってもらえるのではないだろうか。そう、残念ながら私には最初から「家族や、家族に近い感情を持っている人間」というピースが抜け落ちているのだ。
(『死に方がわからない」(双葉文庫刊)127-132ページより)
※本稿は、『死に方がわからない』(双葉社)の一部を再編集したものです。
『死に方がわからない』(著:門賀美央子/双葉社)
「ひとりっ子親なし配偶者なし子なし」のひとり暮らしが増えている昨今、若くても、親兄弟がいても、いつなんどき部屋で倒れたり不幸にも亡くなってしまうという、孤独死ならぬ孤立死をしてしまうかわかりません。
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