早稲田で「自由舞台」に入ったものの

中学から高校へ進んでも、演劇への情熱は決して衰えなかったという風間少年。

――高校時代はよく早稲田大学の大隈講堂に「自由舞台」の芝居を観に行ってましたからね。早稲田にはあと「木霊」と「劇研」という演劇サークルがありましたけど、僕は一浪して早稲田に受かると、すぐに自由舞台に入りました。

でも入った翌年が70年安保闘争の年で、授業なんかないんですよ。自由舞台の先輩たちは日本社会主義青年同盟解放派――通称青解のバリバリの活動家が多くて、駆り出されてデモばっかり行ってましたね。

一度機動隊に捕まって、向島警察に2泊3日の体験をしました。4人部屋に入れられたんですが、そこに牢名主じゃないけど山茶花究(さざんかきゅう)みたいな強面のおじさんがいて。

ものすごく親切にしてもらったんで、釈放されたら絶対この人に差し入れしようと思ってたのに、出たらその喜びですっかり忘れちゃった。

思えば「忘れられたり忘れたり」の青春でしたね。(笑)

<後編につづく

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