「ナーバスに捉えてたらついていけません。僕も、〈この野郎!〉って、つかさんをバットで殴りに行く夢を見たりしましたね」(撮影=岡本隆史)
演劇の世界で時代を切り拓き、第一線を走り続ける名優たち。その人生に訪れた「3つの転機」とは――。半世紀にわたり彼らの仕事を見つめ、綴ってきた、エッセイストの関容子が聞く。第26回は俳優の風間杜夫さん。大の人たらしだという、演出家・つかこうへいさんとの出会いが大きな転機となったそうで――。(撮影=岡本隆史)

<前編よりつづく

つかこうへいさんとの出会い

それで風間さんが本格的に演劇人生を歩み始めるのは。

――まずは22歳の時、「俳優小劇場」の付属俳優養成所に入るんです。募集要項には小山田宗徳とか小沢昭一とかの名前が講師として書いてあるのに、一度も授業に出てこない。僕らの一期上に加藤健一さんがいて、彼は運動神経抜群。酔っ払いだった体操の先生の代わりをよくやってました。

バク転とか三点倒立とか教わるんですが、そんなことすぐにできるものじゃないですよ。俳優小劇場は僕らが入った年に解散が決まったんで、「入所金返せぇ!」と十何人かで連呼したら、本当に返してくれました。(笑)

で、そのお金を元に、十何人かで劇団「表現劇場」を作って。でも物書きもいなけりゃ演出家もいない。結局、岡部耕大の第一戯曲『トンテントン』が旗揚げ公演で、「劇団つんぼさじき」の山崎哲や、別役実の脚本(ほん)をやるとか。

でもみんなのやりたい方向がバラバラで、僕は映画に出たりしているうちに、つかこうへいさんとの出会いがあるんです。