1979年、『広島に原爆を落とす日』の稽古場で、つかこうへいさん(左)と((c)斉藤一男スタジオ)

でも、岸田今日子さんがつか芝居の『今日子』に出た時、網タイツをはかされたり、相手役の靴を舐めに行かされたり、観るほうがつらい思いだった。

――ああ、そうか。岸田さんと同じ文学座出身の加藤治子さんも、つかさんの演出を受けてみたいと思われたんでしょう。俳優座劇場でのつかさんの『出発』に出ることになって。

この芝居は菊池寛の『父帰る』がベースになってて、でも父親は家出してないで地下に潜ってる。それを長男役の僕が引きずり出して、「これが日本のお父さんだよ、買わないか」って叩き売りするような、つか流ブラック芝居ですね。

この父親役が田中邦衛さんで、母親役が加藤治子さん。そしたら加藤さん、「あなたどこでそんな芝居覚えてきたの? ダメだよそんなもの」とか、「ズボラな母親なんだから、ほら、ボリボリ股を掻いて!」とか言われて、プライドが許さなかったんでしょう。病気を理由に降板されて、梅沢昌代さんに代わりました。

でも田中邦衛さんは一生懸命の人だから、食らいついてたね。そういうことも面白がってやるくらいでないと。ナーバスに捉えてたらついていけません。僕も、「この野郎!」って、つかさんをバットで殴りに行く夢を見たりしましたね。

でもあの人、飴と鞭の使い分けが上手で、「風間よう、お前がいないと俺、芝居ができないんだ」なんて言う。大の人たらしなんですよ。(笑)