(写真提供:Photo AC)
日本発の音楽文化として、世界で人気のバーチャルシンガー「初音ミク」。その生みの親であるクリプトン・フューチャー・メディア株式会社の代表取締役・伊藤博之さんは、初音ミクを「クリエイターにとっての音楽仲間のごとく、作品創りに寄り添い、想いをかたちにする存在」と言い表します。今回は、伊藤さんの著書『創作のミライ-「初音ミク」が北海道から生まれたわけ』から一部を抜粋し、再編集してお届けします。

発売当初の大反響

初音ミクが発売された直後の反響は、予想以上のものでした。当時を振り返って何が起きていたか考えてみようと思います。

8月31日に発売されるや否や、ニコニコ動画にはさまざまな動画が公開されていきました。初音ミクをリリースしたら、きっと多くのユーザーがそれを使って創った楽曲を動画共有サイトに投稿するだろうと予想はしていましたが、現実は想像以上の展開に。

ひとつの動画を元ネタにした、二次創作としての動画が次々と発表されていったのです。ひとつの作品から別の作品が派生し、次にはそのコラボレーション作品が生まれる。毎日いくつもいくつも発生する創作の連鎖。僕たちはそれを観て「こんな作品が上がったんだ」「こんな作品も出てきたんだ」と、驚くと共に日々楽しみにしながら追いかけていました。

思いがけなかったのは、ネット上へのイラストの投稿が相次いだこと。

もちろんネット上にはイラストを描く人がたくさんいる。そういう状況は知っていました。きっと初音ミクのイラストを描く人もいるだろうとは思っていました。それでも初音ミクの発表を受けてイラストレーターさんのブログなどに上がったイラストの数は予想以上でした。また、ちょうど同じ時期の2007年の9月上旬にサービスインしたpixivにも多くのイラストが上がっていました。