小学校一年生のとき・広島の川原で(写真提供:著者)
長い歴史を誇るクラシックバレエ。舞踊生活74年の今も、その世界で輝き続けているバレリーナが森下洋子さんです。1948年、広島市に生まれた森下さんはアメリカやフランスなどでプリマ・バレリーナとして活躍。ルドルフ・ヌレエフはじめ世界のトップアーティストたちと共演し、英国ローレンス・オリヴィエ賞を日本人として初めて受賞しました。その森下さんの著書『平和と美の使者として 森下洋子自伝』から、自身と広島の関係を描いた箇所を紹介します。

3歳からバレエ教室へ

1948年12月7日、広島県広島市で父の準(ひとし)と母の敏子(としこ)の間に長女として生まれました。太平洋のように、おおらかで心が広く育つように、という願いを込めて洋子と名付けたそうです。

育った江波町(えばちょう。現、中区)は、広島湾に面し、太田川が海に注ぐ美しい小さな町。子供の頃は、市内を流れていた7つの川にまつわる思い出が多いですね。家で水着を着て浮輪を持って、そのまま川に泳ぎに行ったものです。

赤ちゃんのころ。両親と(写真提供:著者)

広島は水もきれいで食べ物はなんでもおいしい。中でも新鮮な小イワシの刺し身が大好物。手押し車で行商に来るおばあさんに注文すると、U字形の竹べらで骨や頭をそぎ落としてくれる。母に手を引かれながら、手際のいい作業を面白がって見ていたことを懐かしく思い出します。

父は鉄鋼関係の会社員でホッケーの選手。高校時代は「山陽学園に森下あり」と言われたぐらいの名選手だったそう。私の筋肉は、やわらかい方ですが、父からいただいたのではないかと思います。

母は料理が上手で、贅沢ではありませんが、手の込んだおいしいものを作ってくれました。体が弱く、市販のものを食べるとお腹を壊してしまう私のために、おやつはすべて手作り。氷を使う冷蔵庫の時代に工夫をして、アイスクリームを作ってくれました。誕生日には、クリームをプリンカップの裏側でバラの花の形にして飾った、真っ白いデコレーションケーキを作ってくれて、友達からは歓声が上がったこともありました。

物はそんなになくても、とても心豊かな生活でした。