生きていられることの素晴らしさを伝えてくれた祖母

祖母も母も被爆をしています。

祖母は原爆が投下された日、爆心地の近くで奉仕団として作業をしていて、そこで被爆。左半身を焼かれて運ばれた江田島の兵舎でお坊様からお経を上げてもらったと言っていました。周りは亡くなった人ばかりだったのでしょう。

母も学徒動員で兵器工場にいて被爆。焼け野原となった市内で祖母を捜し回り、2日後にようやく出会えたそうです。

祖母は、左半身全部にやけどを負い、コルセットを着けて生活していました。癒着した手の指は手術で剥(は)がしてもらったけれど、親指しか動きません。でも、「動かないけれど、親指が使えるとこうやって洗濯ができる」と前向きに捉え、明るく笑う。洗濯板を器用に使って洗い物をし、裁縫もしていました。

銭湯にも平気で行きました。悲嘆に暮れたり、愚痴を言うことなく、命に感謝し、常に明るい気持ちを持って過ごしていた。生きる喜び、生きていられることの素晴らしさを孫の私たちに伝えてくれたのです。

困難に直面しても、一つのことをどう考えるかで人生は大きく変わります。物事の良い面を捉えて、プラスに考え、こつこつ自分のできることをやっていけば、必ず道が拓(ひら)ける。やっていけばできるようになる、少しずつでも大丈夫、そう前向きに考えられるようになったのは、祖母の強さを見てきたから。年を重ねるにつれて、より強く祖母の生き方の美しさ、強さを思い出すようになっています。

※本稿は、『平和と美の使者として 森下洋子自伝』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。

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平和と美の使者として 森下洋子自伝』(著:森下洋子/中央公論新社)

舞踊生活70年を超えてなお輝き続けているバレリーナ・森下洋子。広島に生まれたこと、そしてバレエとの出合いは必然だった。読売新聞連載「時代の証言者」に加筆のうえ単行本化。