高校はバレーの強豪校にスポーツ推薦で進学し、3年生でキャプテンになり、大阪代表選抜チームの主将も任されました。そこまで順調にバレーの道を歩んできたこともあり、どこか天狗になっていたところがあったのかもしれません。全国大会ではレベルの高さを思い知らされ、鼻をへし折られました。
高校の3年間は、これまでの人生の中で一番長く感じられましたね。授業のほかはバレー漬けで練習は厳しく、家に帰っても寝るだけ。キャプテンというだけで理不尽な扱いもたくさん受けましたし、心身ともに追い込まれて、地獄のような毎日でした。
将来バレーでやっていくのは無理だと悟ったのもこの頃。だから卒業する時の解放感ったらなかったですね。今、俳優としてどんな作品を撮り終えた時の解放感より何倍も大きい。「ああ、これでやっと普通に生きられる」って心底思いましたから。
バレーボール選手になるのは諦めたものの、すぐに何かをしたいということもありませんでした。しかし大学へ進学するとなると、今まで勉強していないからスポーツ推薦で行くしかない。それで東京の大学に推薦で入りバレー部に入部するのですが、レギュラーにもなれず、惰性でバレーを続けていた感じでした。
モデルの仕事を始めたのは、大学卒業と同時ぐらいだったかな。卒業後、友人たちは部の先輩のいる会社などに就職していったのですが、僕はその気にもなれず、この先どうしようかなと模索していて。親は体育の先生になってほしかったようなので、教員免許を取るための学校に行こうか、このままモデルの仕事を続けていこうかなど、いろんな可能性を考えていたのです。
モデル事務所に入った時、姉は自分のことのように喜んで、すごく応援してくれましたし、母には「好きなことをしなさい」と言われていたこともあり、将来に対する不安はありませんでしたね。むしろこれから何ができるかを考えるのは、楽しくもありました。