病院は火傷をした人であふれ返っていました。骨折した友人の応急処置が終わり、家まで送ってから、私は相生(あいおい)橋のそばにあるわが家を目指しました。これも後から知ったことですが、米軍はこの橋を目標に原爆を投下したとも言われています。
市の中心部に通じる御幸(みゆき)橋の向こうは火の海です。私と田中さんは、川でハンカチを濡らして口に当てて、炎のトンネルの中を歩きました。
ようやく炎を潜り抜けると、町は見渡す限り焼け野原。道端にはたくさんの人がうずくまり、真っ黒にすすけて、生きているか死んでいるかもわかりません。そしてどこからともなく「お水ちょうだい」「水……」という声が聞こえてくるんです。でも私は水を持っていないし、早く家に帰りたい。「ごめんね」と叫びながら、その場を走って逃げたのを覚えています。
そのうち、死体を見ても怖くなくなりました。もし今ここに、1人でも死体があったら大ごとですよね。でも、あれだけ大勢死んだら、かわいそうとも思わなくなる。人間の心がなくなってしまうんです。死体がないところを見つけて、ぴょんぴょん跳ぶようにして歩きました。
やっとのことで相生橋までたどり着くと、わが家の方向どころか360度見渡せて、広島の町が壊滅していることがわかりました。わずかな希望も絶たれ、田中さんと2人、相生橋の上に座り込んでわぁわぁ泣いたものです。