1945年8月15日の終戦から、2025年で80年を迎えます。その後、国防のために創設されたのが自衛隊ですが、元・海上自衛隊自衛艦隊司令官(海将)である香田洋二さんは、「規律一辺倒の自己批判なき現在の自衛隊に一抹の不安を覚える」と語ります。今回は、香田さんの著書『自衛隊に告ぐ-元自衛隊現場トップが明かす自衛隊の不都合な真実』から一部を抜粋し、再編集してお届けします。
米軍を立て直した抜擢人事
軍隊においては戦争に勝つことが優先される。部隊の指揮官として適任の者もいれば、不適格な人間もいる。みんなで平等にポストを回すという悠長なことをやっていれば、戦争に勝てない組織になってしまいかねない。
日本がその事実を肌身をもって知ったのは、先の大戦だったはずだ。真珠湾攻撃で大きな痛手を負った米軍が勢いを取り戻し、日本を完膚なきまでに叩きのめすことができた一因は、人事にある。
米政府は当時、太平洋艦隊司令官を務めていたハズバンド・キンメル大将を更迭し、チェスター・ニミッツ少将を後任に据えた。当時、キンメルは60歳であるのに対し、ニミッツは56歳で、海軍将官序列25人抜きで中将も飛び級の抜擢人事であり、旧日本海軍では考えにくいというか、あり得ない人事だった。
米軍にも年功序列はある。しかし、戦時であればお構いなしに、若い人物を平気でトップに据えるのだ。その後、ニミッツが米海軍の態勢を立て直し、米国を勝利に導いたことは皆さんご存じであろう。
これに対し、旧日本海軍は、将官の中にも戦死者が相次ぎ、人繰りが厳しい中でも、「あいつはまだ早すぎる」「彼の前に年次が上のあいつを昇任させてやらないとかわいそうだ」などと、平時と変わらない人事をやっていた。
旧海軍の人事制度の問題は、2年ルール(※)や年次主義だけではない。同期同士の出世レースに関しても指摘しなければならない。旧陸軍にも似たようなところはあったが、特に旧海軍では、海軍兵学校の卒業席次が後々の出世にまで響いていた。
(※)2年交代でポストを順繰りに異動させていくというルール