細川家が赤穂浪士を称えるものを撤去したワケ

ひとつ、余計なことを。

赤穂浪士たちは本懐を遂げた後、4つの藩邸に預けられ、切腹までの期間を過ごしました。

大石内蔵助ほか17人は熊本藩の下屋敷に滞在し、とても丁重に扱われました。藩主の細川綱利が彼らの行動に惚れ込んだからです。

彼らが自害した後も、切腹した庭をそのまま保存したり、墓をつくったり、顕彰するものを建立したのです。

ところが細川宗孝の一件があった後、これら浪士を称えるものは全て撤去されました。

というのは、ぼくは『文春オンライン』で古文書を読みながら説明したのですが、伊達政宗が浅野長政に宛てて絶交状を書いており、それ以来、仙台の伊達家と浅野家は交遊を断っていたからです。

重賢襲封の件で細川家としては、伊達家に大きな恩義ができた。感謝の意を伝えるために、伊達家の怨敵、浅野家に関するモノを廃棄したということらしいですね。

浅野長政は徳川家康に気に入られ、浅野本藩とは別に領地(常陸・真壁藩)を貰い、時間が経過して、それが赤穂藩になっています。

だからより一層、赤穂浪士関連のモノは廃棄の対象にならざるを得なかった、ということなのでしょう(ちなみに、伊達家と浅野家が和解したのは1994年とのことです)。

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