真相は…

さて、どちらが正しいのでしょうか。

『営中刃傷記』によると、宗孝の傷は、首筋の脇、左肩、右肩、左右の手に小傷、鼻の上、耳の際、背中側の右の脇腹より左の脇腹、頭に小傷、とあります。

うわ、すごい。何回も何回も刀を振るわなければ、こんな傷になりませんよね。

この間、勝該は人違いに気づかなかったものでしょうか。ぼくはちょっと・・・勘違い説には賛成できないかなあ。

ともあれ事件後、勝該は三河・岡崎藩主の水野忠辰の屋敷に預けられ、同月23日に同所で切腹させられました。

なお、この事件の次の江戸城中刃傷が、田沼意知事件になります。