戦国時代の武将、織田信長像(写真提供:Photo AC)
エミー賞受賞ドラマ『SHOGUN 将軍』は、日本の戦国時代について再現性の高さも話題になりました。時代考証を担当した、国際日本文化研究センターで教授を務めるフレデリック・クレインス氏いわく「戦国時代の武士たちには、命より家の将来や社会的立場を重んじ、死を“生の完成形”と捉える死生観があった」とのこと。戦国時代の武士たちは、《合戦での討死は名誉》とされ、主君の死や敗戦の際には、ためらうことなく自ら切腹を選んだといいます。戦国武士の生きざまを徹底検証したクレインス氏の著書『戦国武家の死生観 なぜ切腹するのか』より、一部を抜粋して紹介します。

武将たちはつねに複数の女性に囲まれていた

戦国時代は荒々しい男性的な時代であった反面、女性が表舞台で活躍する時代でもあったことは、広く知られるべき事実です。

もっぱら奥に引きこもり、公の武家社会に参加しなくなるのは江戸時代のことであり、戦国時代の女性たちの活動範囲は多岐にわたりました。

わかりやすい例としては、公式な場においても、武将たちの身辺を多くの女性たちが取り囲んでいた様子が挙げられます。

たとえば、信長の場合、序章で紹介した細川忠興や有名な森蘭丸など、少年たちが小姓として身辺に仕えていたことが知られていますが、つねに複数の女性も付き従っていたことが記録されています。

豊臣秀吉は常時、複数の側室に取り囲まれており、太刀持ちも小姓ではなく、側室の一人が務めていました。

同じく、徳川家康も20人程度の側室がつねに身辺に仕えていたことがわかっています。

時代劇で男性のみに囲まれた武将の姿を見ていると、まるで男女が空間的に棲み分けていたかのような印象を受けますが、戦国武将の身辺には必ず何人かの女性の姿があったのです。