別の角度からの記述では

同書には同じ場面に関する別の角度からの記述も収録されています。

大坂の屋敷に詰めていた河北石見の家来である山内新左衛門が、ガラシャの死を伝えるために派遣され、三島で忠興と合流して報告した内容となっています。

7月17日の夕方、城からガラシャ夫人を迎えるために人数(兵士たち)が参上した。石見は奥の御台所に詰めて待機し、小笠原少斎が正面の御台所に参じ、石見と一緒にいた。

やがて夫人が自害され、少斎がその介錯を務めた。そして、石見と少斎も切腹した。

石見の家来である河北六右衛門は御台所の土間で切腹し、金津助十郎は御台所の燃え上がる屋根の上で切腹した。