闇市で買った靴で猫が満腹に
昭和20年8月15日正午に玉音放送があり、戦争は終わった。
編集長によると、食料難はもちろんのこと、物資が不足して、戦後も靴は貴重で、自分に合ったサイズの靴を入手するのは難しかったそうだ。
ところが戦後の闇市で、編集長は奇跡的に自分に合ったサイズの靴を見つけ、下宿に持ち帰り、明日から履こうと玄関に置いた。
次の朝、玄関に行くと、その下宿で飼っている猫が、大きなお腹を見せて、横向きに倒れ、苦しそうに息をしていた。編集長は、戦後の世の中の激変と混乱の中で、オス猫まで子供を産むようになったのかと驚愕した。
そして、こんなところで子供を産まれては困ると思い、猫を運ぼうとして、新品の靴を履いた。しかし、靴の底がなかったのだ。驚いて、靴を持ち上げて、わずかに残った靴の底を見たら、イカのスルメだった。猫はニオイがして、靴底のスルメに気づき、夜中に味わい、満腹すぎて動けなくなっていたのである。
編集長は、スルメで靴底を作る発想と技術に唖然としたという。
私は家に帰ってから、母に二人の話をすると、「終戦から少したってから東京に戻ったけれど、合ったサイズの靴がなくて、踵の部分を踏んで、スリッパのように履いていたことがある」と話していた。
母は、昭和20年3月10日の東京大空襲の時は、首から肩にかけてと太ももに大火傷をし、高等女学校の卒業式に出席できず、新潟県の父親の親戚の家に世話になりながら火傷の治療をした。(この連載の第18回と第19回に掲載)。
火傷が良くなると、母は同県の母親の親戚の家に泊まり、近所の人たちと玉音放送を聴いた。しかし、電波の状態が悪いのか雑音が入り、聴き取れなかった。すると近所の人が、「天皇陛下は『もっと頑張って戦え』とおっしゃっている」と言い出した。それを聞いて、ほかの人たちは「本土決戦だ」と、戦意を高揚させた。
少したつと、役場の人が、「戦争が終わった」と知らせてきた。それを聞いた時に、母が真っ先に思ったのが、『これで寝間着を着て寝られる』だった。