俺は何でこんな家に生まれたんだ
高校になると稽古事をすべて再開し、テレビなどにも出演しましたが、やっぱりバンド活動に夢中で稽古事はサボっていました。当時、父は『遠山の金さん捕物帳』の撮影でずっと京都に行っていたのですが、音楽には猛反対。
久しぶりに帰った自宅で息子がベースを弾いているから、「うるさい! いい加減にしろ」と怒鳴っていました。一方、「この子は隔世遺伝だ」と孫に期待をかけていた祖父は、「ベースが弾ける役者がいてもいいじゃないか」と孫を応援。
父はテレビドラマ界で孤軍奮闘、必死に成果を上げても劇団にギャラを吸い取られていました。そんななか息子には「僕はお父さんを尊敬してない。おじいちゃんみたいな役者になりたいんだ!」と刃向かわれ、その苛立ちやストレスは大変だったと思います。
反抗期だったとはいえ、ひどいことを言ったものです。バンドをやりたい一心で私はずいぶん反抗し、「俺は何でこんな家に生まれたんだ。死にたい」と遺書を書いたりもしました。