父がドラマや映画で稼いだ“外貨”は劇団員に分配していました。その慣例を変えることはならずと、私が外で稼いだお金も9割以上劇団に吸い取られていたのです。昇給もわずかなため、劇団を辞める2007年の時点でも給料は一般企業の大卒初任給以下。そのうえインタビューなどを受けるときの衣装代も、舞台用の化粧品も自前。劇団が認めない音楽活動でもかなり出費があるため、借金まみれでした。

祖父をはじめとする劇団創立世代の役者たちがいた父の時代とは違い、私の場合、自分が続けるモチベーションにつながる役者が劇団にいない。50歳を迎えた私のなかに、ここにいては駄目になる、劇団を辞めたいという気持ちが募っていたのです。

 

3回目のデート。その日は台風だった

現在の妻・寿子と出会ったのは、そんな折でした。テレビ出演が続いていた私の世話係として選ばれたのが、前進座の新人女優だった彼女。喉が渇いたと思うとさっとお茶が出てきて、かゆい所に手が届く子だと感心しました。どこへ行くにも行動を共にするようになり……。

といっても、当初は女性として意識していませんでした。なにしろ彼女は25歳も年下。私も40歳でバツイチになった後、幾人かの女性と交際したものの再婚の縁には恵まれず、恋愛も結婚も面倒だと思っていました。

ところが前進座の舞台公演が始まって、彼女が助手から離れてしまうとなにやら寂しくて。それで楽屋をウロウロしている彼女に「僕の部屋でお弁当を食べたら?」と声をかけ、話しているうちに「今度、飲みに行こうよ」となり、実行したら思いのほか楽しかった。付き人の頃から私の恋愛武勇伝なんぞも話してましたから、何でもツーカーで面白い。

たしか、3回目のデートのときだったかな。その日は台風で店がどこもかしこも休業だったので、「俺の部屋で飲む?」と誘ったら、「いいんですか?」と。それで私の部屋で食事をして、飲みながら映画鑑賞をしているうちに妙な気分になってきて、彼女は泊まってしまったと(笑)。その日から私の部屋で暮らし始めた。というか、私が帰さなかったんです。