芸人は、年をとらない生きもの
ペー 本日のお題は「老後」や「お金」でしたっけ? 結論から言っちゃうと、僕らに「老後」ってもんはないと思っているんです。死ぬまで現役! 何歳になったからどうしようとか、年相応にしなきゃとか、いっぺんも考えたことがない。
パー子 今日もふたりして全身ピンクでーす! 芸人は、いつも若い感覚を保つためにも、年なんて気にしないっていうのが、お兄ちゃん(ぺーさんのこと)の持論よね。
ペー 僕が先代の林家三平の弟子になったのが前の東京オリンピックの年だから、だいたいの年齢はバレちゃうけどね。
パー子 私はお兄ちゃんの4年ほど後の妹弟子。三平師匠のお宅へ遊びに行ったときに、おかみさん(海老名香葉子さん)からスカウトされたんです。こう見えて私は極度の人見知りなので、言葉が出ない代わりに笑ってばかりいたんですね。そうしたらおかみさんが、「まわりがパーッと明るくなるから、あなたは『パー子』よ」って、芸名もその場で決まっちゃった。
ペー この人は小さい頃から日舞や三味線を習ってたし、スカウトされる前には作詞家の石坂まさをさんの弟子でもあったの。つまり藤圭子さんときょうだい弟子なんだね、信じられないことに(笑)。それで歌とおしゃべりで舞台に出たら、あっという間に売れっ子ですよ。
パー子 イヤーッ、恥ずかしい! とにかく、度胸だけでやってました。
ペー 僕は三平師匠の付き人から始めて、そのうち、スーツ姿で高座で歌う師匠の伴奏をするためにギターを弾くようになりました。最初のギャラが500円。それが1000円になり2000円になり。パー子と結婚を決めた頃には3000円になっていたかな。でもギター漫談としてはまったく食えなくて、「どうして売れっ子のパー子があなたと?」と驚かれたもんです。
パー子 結婚してから、芸のことはお兄ちゃんに任せきり。歌も歌わなくなって、いまやすっかり音痴になっちゃいました。
ペー 最初はパー子にお声がかかって、ふたりで舞台に立つようになったのが「林家ペー・パー子」の始まりです。落語協会には僕だけが所属しているので、寄席にはピンの漫談で出るのだけど、お客さんから「あれ、今日パー子さんは休み?」と言われちゃう。この間なんか、地元のスーパーで「林家パーさんですか」って。(笑)
パー子 キャー、混ざってるー! 私たち背格好も似ているし、お兄ちゃんは外へ出かけるときもこの格好だから、見分けがつかないのかしら。