女性でも、60歳でも戦える喜び
富山県立山町で生まれ育った私は、小学校4年生のときからスキーで遊んでいました。大学に入学するとスキー部に入り、アルペンスキー(以下、アルペン)と呼ばれる、雪山の斜面で滑降や回転などを行う競技スキーをするように。部員にはクロカンの人もいましたが、当時はその楽しさを感じられなかったのです。
高低差のあるコースを上り下りするクロカンの選手は、寒さで鼻水をたらしつつ、大汗をかいている。一気に滑り降りるアルペンのほうが楽なのに、と思って見ていました。(笑)
大学卒業後は中学校の理科の教師に。そして「一緒に山に行けるから」という理由で、山岳会で知り合った登山家の夫と結婚、2人の子どもをもうけました。義母は元教師だったこともあり、私が仕事をすることに協力的。「仕事を続けなさい」と、家事や育児を一手に引き受けてくれました。
まだ仕事をする女性は珍しい時代ですから、男性と同じ仕事をするなら一人前にできて当たり前、むしろそれ以上が求められた。義母の助力がなければとても続けられなかったと思います。
夫は登山家なので、国内外の山に遠征していて、うらやましい……と思ったことも。しかし私は自分の仕事をまっとうすることに必死でした。その甲斐あってか、中学校の教師から小学校の校長に。子どもたちを連れて、登山やスキー活動をしたことは、本当にいい思い出です。