「私にも戦えたことが嬉しくて嬉しくて、すっかりクロカンの虜になりました」

定年まで勤め上げた後は、「したいことがあるので」と仕事は断りました。登山やスキーを心ゆくまでやりたかったのです。夢にまで見た海外遠征もできる、60歳万歳! そんなとき、かつての大学スキー部の部長が、「クロカンをやってみないか」と声をかけてくれたのです。

スキー経験者とはいえ、アルペンの板に比べるとクロカンの板は幅も狭く、靴の後ろのビンディング(留め具)がないのでバランスがとりにくい。スキーに乗って歩くこともままならず、かなり手こずりました。

やがて歩けるようになると、「10kmのレースに出てみたら」と勧められて。定年から2年が経った1997年、新潟県で行われた「にいがた歩くスキーフェスティバル」に思い切ってエントリーしました。

クロカンでつらいのは、足でも腕でもなく肺。リフトを使わず、自分で雪を踏みしめながら坂を上っていかなければなりません。練習中でも大会でも、ずっと呼吸が荒い状態が続きます。それでも10kmを一生懸命に滑り通したところ、何百人も出ている大会の60歳以上女子の部で優勝することができました。

「1位は佐伯克美さん」

その放送を聞いたときは天にも昇るようで! 私にも戦えたことが嬉しくて嬉しくて、すっかりクロカンの虜になりました。