婦人公論.jpから生まれた掌編小説集『中庭のオレンジ』がロングセラーとなっている吉田篤弘さん。『つむじ風食堂の夜』『それからはスープのことばかり考えて暮らした』『レインコートを着た犬』の「月舟町」を舞台にした小説三部作も人気です。

このたび「月舟町の物語」の新章がスタートします! 十字路の角にある食堂が目印の、路面電車が走る小さな町で、愛すべき人々が織りなす物語をお楽しみください。月二回更新予定です。

著者プロフィール

吉田篤弘(よしだ・あつひろ)

1962年東京生まれ。小説を執筆するかたわら、「クラフト・エヴィング商會」名義による著作と装幀の仕事を手がけている。著作に『つむじ風食堂の夜』『それからはスープのことばかり考えて暮らした』『レインコートを着た犬』『おるもすと』『金曜日の本』『天使も怪物も眠る夜』『月とコーヒー』『中庭のオレンジ』『鯨オーケストラ』『羽あるもの』『それでも世界は回っている』『十字路の探偵』『月とコーヒー デミタス』など多数。

 

第四話
風がやむまで(其の二)

 

「こいつはジャンゴっていうんです」
 彼はあきらかに自分に向けてそう言いました。
「賢い犬なので、人間の言葉が分かります」
 目が合いました。間違いなく、犬にではなく自分に話しかけています。
「まぁ、こっちも犬が何を言いたいのか、何を考えているのか、たいてい分かってるんで──」
 驚きました。話の内容にではなく、見ず知らずの人が自分に話しかけてきたことに驚いたのです。しかも、彼はとても友好的で、その話しぶりは、まるで何年も前から友人であったかのようでした。
「休みなんですよ、映画館」
 申し訳なさそうに彼は言いました。
「機材の点検とかいろいろあって、一週間くらい休館なんだけど──ええと──初めてお会いしましたっけ?」
「ええ──そうですね」
「この町に住んでます?」
「いえ」
「ですよね。いや、いいんです。ようこそ、いらっしゃい。なにしろ苦しいんでね──いや、映画館がです。あ、オレは映画館の人間じゃないです。ただの映画ファンで、この映画館は直っていう男がやってます。いまちょっと出かけていますが、もしかすると、オレより映画が好きで、だからまぁ、彼を応援するために、ここへ通っている常連の一人です。な?」
 犬に同意をもとめると、犬は彼の顔を見つめ、気のせいかもしれませんが、(そのとおり)と頷いたように見えました。
「ちなみに、ジャンゴは映画館の犬で、オレの犬じゃないです。オレはみんなからタモツって呼ばれていて、だから、そう呼んでもらっていいですけど、そちらのお名前は?」
 唐突にそう訊かれて戸惑ってしまいました。役所や病院以外で名前を訊かれたことなどなかったからです。
「テツと呼ばれています」
戸惑いながらもそう答えると、
「ああ」
彼は突然、大きな声を上げました。