ALSの宣告
そしてついに運命の日を迎えました。19年3月22日の深夜のことでした。私が呼吸していないことに妻が気づき、救急車を呼び千葉大附属病院のICUに搬送されました。あと15分遅れたら助からなかっただろうと後で言われました。私はあの時確かに死んだのだと思います。少なくとも、死ぬとはこういうことなのだろうなと思ったことは事実です。
ALS(筋萎縮性側索硬化症)だと宣告されたのは5月30日のことでした。担当医師数名が病室に来られ、病名とこれは現代医学では治療不能と告げられた時は、妻も私も1年以上苦しんできた病名が判明したことでホッとし、むしろ笑顔で聴いていました。それほど、それまでの不安と恐怖が強かったということです。
しかし、悲しみと絶望感はすぐ襲ってきました。自分に残された命はあと半年? 1年? 当然のことですが、それまでの72年間の人生を振り返りました。力及ばないこともあったけれど、与えられた状況の中では精一杯生きてきた――そういう自負はありました。妻宛てに文字盤にこう書きました。(当時はまだペンを握れたのです)
「これまでずいぶんケンカもしてきたけれど、ここまでやってこられたのはお前の協力があったからだ。ありがとう。我が人生に悔いなし!」
妻の手を握ったその上に涙がこぼれました。悔しさと絶望と感謝の気持ちが入り混じった涙でした。それをドアの陰で見ていた次男の嫁が、「お母さん、悲しい時は泣きましょう」という名言をその夜LINEで送ってくれました。これ以上の慰みの言葉はありません。