イギリス情報機関は「紳士的」なのか

イギリスのヒュミントは、古くから「紳士的」と形容される礼儀作法や伝統を保ってきたと語られることが多い。しかし、元職員が記した回顧録や研究、あるいは報道・公的資料などをひもといてみると、意外にも他の情報機関と大差ない手法を駆使していた様子がうかがえる。

まず、MI5やMI6は、かつて大イギリス帝国が築いた広大な植民地行政や通商ネットワークを背景とし、上流階級や官僚層の縁故関係を基盤に成長してきた。第二次世界大戦から冷戦期にかけては海外エリートとのさまざまな人脈をヒュミントの人的ネットワークに転用してきたといわれている。

旧宗主国としての歴史的立場に加えて、オックスフォード大学やケンブリッジ大学といった名門大学のブランドが、相手国の知識層やエリートに「イギリスへのあこがれ」を抱かせるソフトパワーとして機能した点は見逃せない。

しかし、クリストファー・アンドリューの大著『The Defence of the Realm: The Authorized History of MI5』やMI6元職員の証言などからイギリス情報機関の採用変遷を見ると、このような優雅かつ華やかな上流階級ネットワークによる手法が常に効果的に機能したかといえば、必ずしもそうではなかったことがうかがえる。

イギリスの上流階層に広がる旧友つながりや名門大学の同窓関係は、各国の知識人や要人と接触するうえでの良い足がかりになることもあったが、脅威が多様化したことにより、旧来のネットワークでは対応できなくなったのだ。

実際の現場では、優雅なサロン文化だけに頼っていたわけではない。イギリス情報機関は旧宗主国としての歴史と名門大学のステータスを足がかりに、相手国のエリート層の憧れをうまくヒュミントのネットワーク構築に利用してきた一面がある一方で、その優雅なイメージとは裏腹に、実態は地道な諜報活動の積み重ねであった。