一度はエベレストに登ってみたい

私がヒマラヤに興味をもったのは、1970年、ネパール王国がヒマラヤ登山を解禁したのがきっかけです。「女だけでヒマラヤ行かない?」と仲間に誘われて、女子登攀(とうはん)クラブを設立。まずは7000メートル級の山に登ろうと目標を立て、70年にアンナプルナIII峰(7555メートル)に登頂しました。

次の8000メートルをどこに登ろうかということになり、世界に14座ある8000メートル級の山々の中から、女だけでも登れる可能性のある山として選んだのです。エベレストなら、53年のヒラリーさんたちの初登頂の後、世界の6カ国の人が登っており、日本隊も登っています。資料も揃っているし、標高8000メートルから山頂までのルートも、それほど難しくはありません。それに、やっぱり一度はエベレストに登ってみたいという思いもありました。

『人生、山あり“時々”谷あり』(著:田部井淳子/潮出版社)

そこで、1971年にネパール政府に許可を求めたところ、当時エベレストは1シーズン1チームしか許可されない時代でしたが、75年には入山を許可してもらえることになりました。

こうして、インド経由でネパールに入り、ついにエベレストの山頂に立ちました。山のてっぺんからは、チベットとネパールの両方が見渡せます。エベレストは屏風のように地球の上にそそり立ち、ネパールとチベットを隔てていました。見下ろすと、一方にはネパールの峨々たる山脈がそびえ、もう一方にはチベットの大高原が広がっています。そのスケールは、言葉を失うほどでした。

でも、登頂の喜びに浸っている余裕はありませんでした。目も眩むような高みに立ち、「本当にここから下山できるのかなあ」と、不安が一気に押し寄せてきたからです。

山頂から下を見ると、千尋(せんじん)の谷底に吸い込まれていくようです。あまりの急峻さに足がすくみ、後ろ向きに下りることもしばしばでした。気が狂うほどの緊張感と闘いながら山を下り、ようやく登頂の実感が湧いてきたのは、ベースキャンプに着いてからでした。