羽生 たぶん別の人でしょう。これも先輩棋士に聞いた話ですが、真剣師は有名になってはいけないそうなんです。なぜなら真剣師の場合、「強い」という評判が広まると、相手が賭けに乗ってきてくれないから。
小説でも真剣師が初戦は負けて次に勝つというシーンがありましたが、本当に上手い人はずっと二勝一敗という状態を続けます。三回に一回は相手に勝たせたほうが、「いつかチャンスがあるんじゃないか」と熱くなって賭け続けてくれますから。
柚月 うまく負けるのは、勝ち続けるよりも難しそうですね。
羽生 技術が備わっていないとできないことだし、自分と相手の力関係を見極めることが必要です。そもそも賭博は違法なので、実際に真剣師として生計を立てる人は少なくなり、昭和40~50年代にはほとんどいなくなったと聞いています。
柚月 真剣師は、麻雀界にもいたそうですね。私はその世界が描かれた『麻雀放浪記』が大好きで。ひりひりした勝負と、これも昔から好きだった『砂の器』のミステリー要素と逃亡劇を合わせたら……と思ったのが、本作執筆のきっかけでした。
羽生 執筆の際には、ずいぶん将棋を勉強なさったそうですね。
柚月 棋士の方の著書を読んだり、自分でも指してみたり。私が将棋って魅力的だなあと思ったのが、どこまでもフェアな実力勝負だということ。そこに、どうしようもない人生の理不尽さを組み合わせて物語にしたらどうかと考えたのです。
羽生 将棋は勝負であると同時に、対局者同士のコミュニケーションでもあります。作中では登場人物の人生の節目ごとに印象的な対局シーンが描かれていて、まさに「棋は対話なり」という将棋の魅力が味わえる作品だと思いました。もう一つ私がとても印象に残ったのが、書名にも入っている《向日葵》です。