無理をしておちゃらけていた時期も
自分がこういう性格になったのは、両親や家族の影響が大きいですね。家族は、自分にとって一番最初の“複数”ですから。家庭での立ち居振る舞いが、社会に出た時の立ち居振る舞いにつながっていると思います。
親に対する興味は強いほうかもしれません。父親はどういう時に機嫌が良くなったり悪くなったりするのか、母親はどういうことで笑うのか、それをずっと見ていた。一番に自分が手掛かりにした人間です。家庭以外の、初めての外の世界が保育所でしたが、先生という存在を、母親との違い、母親との距離で認識していました。母親より若いなとか、年上だな、とか。
あと、2人の姉がすごいおしゃべりで、4つ上と3つ上なんですが、幼少期のその年齢差ってかなり大きいじゃないですか。喋りたいけど、割って入ることができなくて。ずっとそうだったから、口数は多いほうではなかったです。
小学校に上がってからは、頑張っておちゃらけていた時期もありました。人見知りだけど、仲の良い友達の前では元気がいい内弁慶なところがあり、そういう相反する自分のあるべき振る舞い方を自分なりに考えていて。
2年生くらいの時ですが、風邪が流行って学級閉鎖寸前になったことがありました。僕も風邪をひいて、家では吐いたりしていたけれど、翌朝は熱が下がったので学校に行ったんです。僕は朝からはしゃいでいて、もちろん空元気なんですけど、先生が「又吉くんだけ元気やな」と言ったら、みんな笑って。
けれど、母親がその日の連絡帳に「昨日熱が出て吐いたので、もし体調が悪そうだったら声をかけてください」と書いていたんです。それを読んだ先生に、「連絡帳読んだよ。昨日吐いてたんやな、頑張ってたんやなあ」と言われて心が折れました。
「『僕は元気』ってことでやってたのに、こんなふうにバレることがあるんや、そやったらもう頑張らんとこう」と。その頃から、徐々に無理せず素で振る舞うようになっていきましたね。
書くことは「やらな、無理」
お笑い芸人を目指し、吉本興業の養成所に入学するために上京したのは、高校卒業直後の18歳の時。
当時の相方と「線香花火」というコンビを組んで活動していましたが、20歳前後は、一番本を読んでいた時期でした。
18歳の時に、初めて小説を書いてみようとしたけれど、書けなかったんです。小説を書くのって難しいんだなと思った。それで、あらためて小説の冒頭はどんなふうに書かれているのかと、太宰や芥川の作品を読み返してみたら、1行目からすごいんです。続いて、会話文はどう書かれているのか、会話文から地の文に戻る時はどうなっているのかを考えながら本を読むと、またすごく面白くなって。小説って、こんなに立体的で自由な表現なんだと感動して、これはもう、読むことに徹しようと。