金曜の夜の礼拝のあと、ハルはだれよりも早くチャペルをでて、わざわざ遠まわりして校舎のなかを通って寮まで帰ることにした。

 チャペルは渡り廊下で寮とつながっているから、ほんとうはそちらを通ればいいのだけれど、そうするとまずまちがいなく下級生たちに足止めされてしまうのだ。

 音楽室の前にさしかかったとき、なかからオルガンの美しい音色がきこえてきた。讃美歌のようだった。

美しい音色に惹きつけられるように、ハルは開いていた扉のなかに一歩足を踏み入れる。窓の外には大きな月が見えた。

 そのとき、オルガンを弾いていた少女が、ハルの存在に気づいたのか演奏をやめてふりむいた。

ただふりむいただけなのに、その優雅な仕草に、ハルはまるでまだ音楽が響いているような気がした。少女は、ぼーっと立ち尽くす長身のハルを、めずらしいものでも見るような目でみつめてから、「あなたが噂の内地からの編入生?」といった。

鳶(とび)色の瞳と真っ赤な唇。吉屋信子の少女小説から飛びだしてきたような姿だった。ハルは返事をすることも忘れて、その姿に見惚れていた。

「ああ、ごめん、わたしは林秀梅。今日の昼にやっと家から帰ってきたの。ずば抜けて背の高い子が入ってきたって、わたしの組でも話題になっていたんだ。前髪を短くするのが内地の流行りなの?」

そういわれてハルはようやく口を開く。

「ご挨拶が遅れました。青山ハルと申します。流行りでもなんでもなくて、散髪を頼んだ子が下手くそだったの」

 秀梅は眉根を寄せると、なにかを考えているかのように首を傾(かし)げた。

「前にどこかで会った? わたし、一度きいた声は忘れないんだけど」

 ハルはどきりとして、首を横にふる。

「いえ、あたし、台中についたばかりだから……」

 慌ててハルが音楽室からでていこうとすると、秀梅は追いかけてきて後ろからハルの手を摑んだ。それから背伸びしてハルの耳元に口を寄せて、思いだした、『黒猫』の記者さんだね、と秘密をささやくようにいった。

 ――どうして、わかったの?

 心臓が早鐘のように打っている。

「前に市場にいたでしょ? 台湾語の通訳と一緒に子どもに話をきいていた。わたし、なにしてるんだろって近くできいてたの。それにしても、女学校に化け込みなんて、なにを知りたいの?」

 ハルは覚悟を決めて、秀梅の目を見た。

「校長に密告するの? 嘘ついてたのはわたしだから、放りだされてもしょうがないけど……」

 何回かすばやく瞬きをしてから、秀梅は摑んでいた手を離した。

「わたしに協力して。そうしたら、みんなにはいわない。記事にしてほしいことがあるの」