1985年に作家デビュー、今年が作家生活40周年となる山田詠美さん。そんな節目の年に書いた『三頭の蝶の道』は、これまで出会ってきた誇り高き先輩たちをコラージュし、生まれた3人の〈女流作家〉を描いたと語ります。今や芥川賞の選考委員も務める山田さんが、小説を書きながら思い出した、先輩たちからの言葉とは――。(構成:野本由起 撮影:干川修)
〈女流作家〉と呼ばれた時代
初めて書いた小説「ベッドタイムアイズ」でデビューして以来、目の前の作品のことだけを考え続け、気づけば作家生活40周年を迎えていました。節目の年に書いたのは、3人の〈女流作家〉をめぐる物語です。
きっかけは、瀬戸内寂聴さん最晩年の著作『いのち』を読んだこと。同時代を生きた河野多惠子さん、大庭みな子さんとご自身の関係について綴ったこの作品に触れ、お三方を知る者として私なりの角度から女流作家に光を当てた小説を書きたいと思ったのです。
そこで、私がこれまで出会ってきた作家をコラージュし、生まれたこの3人の女流作家を、蝶になぞらえることにしました。
私は〈女流作家〉と呼ばれた最後の世代でもあります。今では差別的とみなされ、使われなくなった呼称ですが、〈女流〉と言われた時代は確かにあった。その歴史をなかったことにはしたくないし、若い女性作家が「女流だなんて」と吐き捨てるように発言しているのを読んだときも、違和感を覚えました。
私が見てきた女流作家は、皆さん卑屈でも不幸でもなく誇り高かった。戦前に『婦人公論』に寄稿していた作家の方々が「女流文学者会」を結成したのも、男性と張り合うためではなく「向こうが楽しくやってるなら、私たちも面白いことをしましょうよ」という雰囲気だったそうです。
〈女流〉と呼ばれた先輩方が土壌を固めてくれたから、今がある。「そのこと、私がちゃんと書いておくから」と、先輩たちに語りかけるような気持ちもありました。
