最も感動したシーン
私が最も感動したのは、戦火を逃れてタラに帰ったスカーレットが、空腹のあまり畑の泥だらけのニンジンに食らいつくシーンだ。結局吐き出し、涙しながらスカーレットは誓う。「神様、私は二度と飢えたりしません。たとえ泥棒をし、殺人を犯そうとも…!」そうして立ち上がるスカーレットのシルエットの後ろは、燃えるような夕焼け。そして有名なテーマ曲「タラのテーマ」が流れる。
このシーンは、戦後の焼け野原に生きる日本人の心にも、相当焼き付いたのではないか。作品の全米公開は1939年だが、世界大戦のため、日本では1952年に公開。終戦の7年後だから、誰もが戦争の痛みを抱え、ことに夫を失った多くの女性が、貧しさの中であえいでいた筈だ。そんな時にあのシーンを見たらきっと思うだろう。「私もスカーレットのように強くなりたい!人間はこんなどん底からでも立ち上がることができるんだ…」と。私自身、辛い時にこのシーンを思い出すことで頑張れた。映画は、私たちに生きる力さえ与えてくれる。
しかし、この「スカーレット効果」は、「映画で大衆の心理を支配し、自国への敵意を忘れさせる」という、アメリカ的な「国策」の成功であったかもしれない。戦後の日本人はアメリカ映画を多く見て、マリリン・モンローやオードリー・ヘプバーン、フレッド・アステアやハンフリー・ボガートに心酔。敗戦の屈辱を忘れたのではなかったか。そして西欧的な生活様式やファッションを求めて、「経済」という新しい戦争に参戦した。あるいはそれは日本人が、「アメリカ主導の経済」という農場に囲われ、「安価な労働力」となる一歩だったのかもしれないが…。
しかし、そんなことを忘れてしまうくらい、スカーレットの生きざまは強烈だ。あまりにも愚かで自分の欲望の赴くままに動き、周りを振り回す。その姿に私たち日本人は、(特に女性が)自分を重ね、または「そうありたかった自分」を見て留飲を下げたのだろう。レットも相当に自分勝手でマッチョ。そしてスノッブな皮肉屋だ。けれどもそこがいいのである。男女平等だのなんだのいいながら、恋愛ではあんな風に力強い男に抱かれてみたくないですか?(ところで久しぶりに男性の胸毛というのを見ました)。山ほどのプレゼントや贅沢を疑似体験するのは、気持ちよくなかったですか? すなわちこの映画は、私たちの本能のような「本音」を刺激するのである。だから、「不道徳極まりない主人公の話なのに感動し、元気が出てしまう」のだと思う。
