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ライター・しろぼしマーサさんは、企業向けの業界新聞社で記者として38年間勤務しながら家族の看護・介護を務めてきました。その辛い時期、心の支えになったのが大相撲観戦だったと言います。家族を見送った今、70代一人暮らしの日々を綴ります。

自分の世界を広げてくれた愛車との別れ

大相撲ファンという繋がりで、私には手紙やメールでやりとりをしている人たちがいる。
その一人に、若い頃から80代の今も詩を書き続け、詩集を何冊も自費出版しているKさんという男性がいる。その詩作への情熱を私は尊敬している。

先日、そのKさんから自分で作成した小冊子の詩集が届いた。友人や知人に限定して配布したそうなので、Kさんの許可を得て書かせていただくが、私は表紙の写真を見て驚いた。Kさんが車の横に仁王立ちして、悲痛な顔をしているのである。

詩集には手紙がはさんであり、「オスモウさんたちはロンドンではり切ったのに、ぼくはGOと思っても車で動けません」と書いてあった。10月の大相撲のロンドン公演に触れているのは、大相撲ファンならではだが…。

詩集のタイトルが『脳梗塞詩篇』で、体験者でなくては書けない詩が31篇載っていた。Kさんは、自分で異常に気づき、病院で検査をして脳梗塞が判明して即入院し、退院後に詩集を作成したのだ。

それぞれの詩から、医師から車の運転を止めるように言われたことへのショック、医師の言葉に従うことにしたが、「世界がちぢかむ」という詩の一行からも、自分で運転してあちこちに行けないという嘆きと、自分の相棒である愛車との別れが辛いという気持ちが、ひしひしと伝わってきた。

私はその詩集を読んで、今年のはじめに70代後半の独り暮らしの女性からの電話を思い出した。彼女は、めまいがたびたびするので病院に行き、自分で運転免許証を返納することに決めたと話していた。

会話の中で何度も「ハッシーがね」と言うので、外国人の恋人でもできたのかと思ったら、愛車に名前を付けていたのだ。彼女は運転が大好きで、気ままに遠くへ行き、「ハッシーとの生活は楽しかった」と言っていた。今後、交通が不便なところにあるスポーツ施設に運動に行くのは、やめるつもりだそうだ。

公共交通機関が不便なところだと、病院に行くこと、買い物が不自由なことなどいろいろ問題がある。自家用車があり、運転ができる家族が同居している、近所に家族や親戚や友人がいて、快く目的地に連れて行ってくれれば良いが、そうでない人も大勢いる。目的地への往復のタクシー代は、大きな負担だ。