不自由でも、自分が交通事故を起こさない世界

私は20代で運転免許を取得し、失業していた時は父の自営業を手伝い、商品を運んでいた。

50代の時に、愛車に「タマコ」という名前をつけて運転していたが、「タマコ」のトラブルで運転はこりごりになった。日曜日に交通量の多い大通りを運転していたら、タマコがエンストを起こした。エンジンを入れ直したが、またエンスト。その後、何回もエンストを起こし、私は「止まらないでくれ、タマコ」と祈りながら自宅にたどりついた。

近所の自動車修理会社の社長を呼んだが、タマコは自宅の前で息絶えてしまった。廃車にする日、私はタマコの窓から顔をだし、修理会社の社長にカメラを渡し、お別れの記念撮影をしてもらった。

現在、私は自家用車も自転車もなく、スーパーが遠いので、食品は生協の宅配を頼んでいる。今年の夏、暑くて遠くまで買い物にいけず、「ありがとうございます、あなたが来なければ、私は餓死していました」と、配達員の人に感謝の言葉を述べた。

健康診断をしてくれる医院は徒歩しか行く方法がなく、遠いので、途中で死ぬかと思いながら歩き、医院で測ると血圧が高くなっていた。

今日もどこかで、高齢者が運転免許証と愛車に別れを告げている。車がない不自由と行動できる世界が狭くなるのを嘆きつつ、自分の運転で交通事故を起こさない世界を手に入れている。

イメージ(写真:stock.adobe.com)

 

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