秀吉と秀長が異父兄弟であるという説の根拠
しかし、おなじく江戸時代前期に書かれたであろう『太閤素生記』(著・土屋知貞)では、父親の名前は「木下弥右衛門」で、織田信秀(信長の父親)に仕えていた鉄砲足軽だったとされています。そしてこの弥右衛門が秀吉8歳の時に亡くなったため、母親が筑阿弥と再婚し、秀長が生まれたとなっています。
これが秀吉と秀長が異父兄弟であるという説の根拠になってるわけですね。
ただし、これが本当だとすると矛盾が生じます。秀長は秀吉の3歳年下の弟。つまり、秀吉8歳の時には秀長はすでに生まれていて5歳なので、父親は同じ木下弥右衛門になるはずなんですよ。
なかなかややこしくなってきました。
