秀吉・秀長ともに父親は「筑阿弥」と考えてよさそう
ということで、甫庵先生も基本的には信用ならないのですが、秀吉の父を「筑阿弥」とする史料はもう一つあります。
『祖父物語』という史料で、尾張国の柿屋喜左衛門という人が文字通り祖父から聞いた話をまとめたものです。ここでは秀吉の父を「竹アミ」、生まれを清須としています。『太閤記』にかなり近い内容です。これはもしかすると『太閤記』の記述のほうが信頼できるような気がしてきました。
ほかに『太閤素生記』には気になる点があって、木下弥右衛門が鉄砲足軽だったという記述ですね。鉄砲が日本へ伝来したのが、天文12年(1543)、木下弥右衛門が死去したとされる年も天文12年です。弥右衛門が鉄砲足軽だったというのは無理があるでしょう。
というわけで、『太閤素生記』の内容はあまり信憑性が高くないので、秀吉・秀長ともに父親は「筑阿弥」と考えてよさそうです。
そうなると、木下弥右衛門が何者なのかは不明ですが、「弥右衛門」は「筑阿弥」の出家する前の名前、すなわち二人は同一人物なのではないか、というふうにも考えられています。少なくとも、秀吉の父親の代から木下名字を名乗っていることは考えづらいので、知貞の養母の記憶違いか情報の混濁があったのでしょう。