亡き父のこだわりはこうだ。まず食パンをきっちり半分に切り分け、醤油と砂糖を小皿でざっくりと混ぜ合わせる。それを食パンの耳ギリギリまでスプーンの背でそっと広げながら塗り込む。オーブントースターの真ん中に行儀よく並べたら、眼鏡を鼻までずらした上目遣いでタイマーの目盛りを確かめながら、トーストする。
やがて砂糖醤油がほどよく焼けて、香ばしい匂いが鼻先をくすぐりだしたころ、父は私を膝から降ろし、焼け具合とにらめっこ。黄金色に色づいた絶妙なタイミングを逃さず、「よーし、よし」とつぶやきながら取り出し、お皿にのせる。そして口を開けて待つ私に食パンの真ん中をかぶりつかせ、「あちゃあ、また一番美味しいところを食べられた」と半泣きの真似をしておどけてみせながら、半円形の歯形のついた残りのパンをそれは美味しそうに頬張るのだ。
そのあとで私は父のいれた砂糖たっぷりのインスタントコーヒーを一口もらい、朝食を終える。これが私と父の朝の日課だった。
父は新しもの好きで、仏間に応接セットを置いたり、白黒テレビ、自家用車、パン食などを早くから取り入れたものだ。トーストにバターやジャムではなく、醤油と砂糖を塗るなど、今考えるとなかなか斬新なアイデアだったはずである。
私も学生時代に自分で作ってみたことがあったが、あのとき感じたほどには美味しくなくてがっかりして、それきり忘れてしまっていた。
そんな父との思い出と、パン屋さんのオーナーの言葉を思い出しながら、私はハッとした。父の砂糖醤油トーストがあんなに美味しかったのは、私の口に届ける瞬間まで、トーストの面倒を見る優しさが染み込んでいたからではないか。そのことに、半世紀以上も経ってから気がついたのだ。
真心のハーモニーがあふれ出したように感じる、昼下がりのひとときだった。