私は母に愛されていたのだろうか。長らく疑問に思っていた…(写真:stock.adobe.com)
時事問題から身のまわりのこと、『婦人公論』本誌記事への感想など、愛読者からのお手紙を紹介する「読者のひろば」。たくさんの記事が掲載される婦人公論のなかでも、人気の高いコーナーの一つです。今回ご紹介するのは愛媛県の60代の方からのお便り。嫌いだった母親の告別式の後、タンスの奥から、1冊の古ぼけたノートを見つけたそうで――。
母の愛情を知った日
母のことが嫌いだった。私は、気が強い母が苦手で、甘えたことがない。私は母に愛されていたのだろうか。長らく疑問に思っていた。
一刻も早く母から離れたくて、中学卒業後、すぐに家を出た。定時制高校に通いながら働き、看護師の資格を取った。そのあとこの地に嫁いできて、今に至る。実家は車で2時間のところにあったが、あまり帰ることはなかった。
それでも歳を重ねた今なら、母と話せる気がする。そう思っていた矢先、あまりにも突然に、母の死の知らせを受けた。でもやはり、涙は出ない。
告別式が終わった後、母のタンスの奥から、1冊の古ぼけたノートを見つけた。「私の宝物」と表紙に書いてある。そこには、私の生まれた日のことが書かれていた。私の名前が何度も何度も出てくる、母の日記。ああ、私はこんなにも母に愛されていたんだ。そう思って初めて、心の底から泣いた。
もし生きていたら、母は今年で100歳になる。もっと話を聞けばよかった。私ももっと話せばよかった。もっと顔を見せればよかった。もっと優しくすればよかった。「親孝行したいときに親はなし」とはよく言ったものだ。
母亡き後、実家には兄夫婦とその子どもたちが住んでいる。彼らとは疎遠なので、私にとって、もう帰れる実家はなくなってしまった。
だけど2年ほど前に、私にも孫が生まれた。娘は孫を連れて、頻繁にわが家に帰ってきてくれる。私はどんな時でも、笑顔で迎え入れると心に決めた。頼れる家族がいて、安心して帰ってこられる場所があるというのは、とても大切なことだ。それを、亡き母が教えてくれたような気がするから。