私は母に愛されていたのだろうか。長らく疑問に思っていた…(写真:stock.adobe.com)
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母の愛情を知った日

母のことが嫌いだった。私は、気が強い母が苦手で、甘えたことがない。私は母に愛されていたのだろうか。長らく疑問に思っていた。

一刻も早く母から離れたくて、中学卒業後、すぐに家を出た。定時制高校に通いながら働き、看護師の資格を取った。そのあとこの地に嫁いできて、今に至る。実家は車で2時間のところにあったが、あまり帰ることはなかった。

それでも歳を重ねた今なら、母と話せる気がする。そう思っていた矢先、あまりにも突然に、母の死の知らせを受けた。でもやはり、涙は出ない。

告別式が終わった後、母のタンスの奥から、1冊の古ぼけたノートを見つけた。「私の宝物」と表紙に書いてある。そこには、私の生まれた日のことが書かれていた。私の名前が何度も何度も出てくる、母の日記。ああ、私はこんなにも母に愛されていたんだ。そう思って初めて、心の底から泣いた。

もし生きていたら、母は今年で100歳になる。もっと話を聞けばよかった。私ももっと話せばよかった。もっと顔を見せればよかった。もっと優しくすればよかった。「親孝行したいときに親はなし」とはよく言ったものだ。

母亡き後、実家には兄夫婦とその子どもたちが住んでいる。彼らとは疎遠なので、私にとって、もう帰れる実家はなくなってしまった。

だけど2年ほど前に、私にも孫が生まれた。娘は孫を連れて、頻繁にわが家に帰ってきてくれる。私はどんな時でも、笑顔で迎え入れると心に決めた。頼れる家族がいて、安心して帰ってこられる場所があるというのは、とても大切なことだ。それを、亡き母が教えてくれたような気がするから。


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