日々仕事に従事して感じること

日々この仕事に従事していて、もう少し警察の検視業務が社会的に認知されるとありがたいなと感じることがありました。

遺体を前に涙を流している家族に対し、「本当にすみませんね。お話を聞かせてください」とお願いしつつ聴取を進めていくと、大抵は何も問題などないのです。

しかし、数百、数千のうちの一つでも、殺された遺体を病死であるように見せかけた殺人事件があるかもしれません。それを見逃し誤認検視をしてしまえば、犯人を野放しにして殺人事件を闇に葬り去ることになるわけです。被害者は浮かばれませんし、「警察は大丈夫なのか」と社会不安につながるでしょう。

市民の安全・安心な生活を守るため、社会正義が実現されるため、そのような犯罪死の見逃しや誤認検視がないように、常に緊張感を持って検視を行なわなければならないのです。

※本稿は、『検視官の現場-遺体が語る多死社会・日本のリアル』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。

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検視官の現場-遺体が語る多死社会・日本のリアル』(著:山形真紀/中央公論新社)

現役の検視官として3年間で約1600体の遺体と対面した著者が、風呂溺死から孤独死までさまざまな実例を紹介し、現代社会が抱える課題を照らし出す。

死はすぐ隣にあり、誰もが「腐敗遺体」になる可能性がある……この現実をどう受け止めるべきか。

そのヒントがここにある。